そのグラフは誰のバイアスか?

グラフは、“作り手が見せたい結果”をビジュアル表現するために作る。
つまり、作った人の思考・願望によりフィルターがかけられていて、見る側は必然的に誘導されます。
そのため、新情報への接し方が楽になる反面、公平な捉え方が疎外されることもあります。

逆に、作り手のフィルターが粗くて解釈の仕方がフリーなグラフでは、議論が百出して話がまとまりません。
グラフには「このように考えなさい」という強いメッセージ性が求められます。

あなたが部下の頃を思い出してみてください。

「グラフにしてくれないとわからない、判断できない」は、「調査内容をお前の考えでまとめてくれ」という意味になるので、この上司は今のところ、本腰を入れて相談に乗ってくれそうなニュアンスではありません。

しかし、相談したいのは「データベースに仄見えるかすかな兆候」で、あなたの感性みたいなものに近い。
感性を他者に通じる表現にまとめるといえば、普通は芸術家の領域で、生存中には思いが叶わないことさえある難関です。

一方、上司が求めているのは具体的数値や物体など、感性とは一番遠くにあるものです。
だから、一足飛びに表現できずにいるあなたに対し、クドクドと説教が始まったりします。

上司に説教されると、即物的表現ができない自分が、まるで能力不足のように感じ取るかもしれませんが、そうではなく、あなたが目指すことのレベルが高かったせいです。